日記を書く

今、人生で一番長いこと日記を書き続けている。
何度試しても3日と続かなかった僕が、半年も日記を書いている。
これはまぎれもない快挙だ。


思えば中学生の頃、担任の教師に毎日提出していたノートには日記を書く欄があった。
しかしそこで書いていたのは生活の記録と呼ぶのもおこがましいほど適当な内容だった。
3日に1回は「今日は疲れた」と書いて提出していた気がする。


大学生の頃に一度、日記用に少し良いノートを買って日記を続けようと試みたことがある。
分厚くしっかりとした紙質で、書きごたえがあったのを覚えている。
しかしそれも一週間と続かなかった。
何もない日が続くと書くのが妙にむなしくなってしまう。
しかしその逆であまりにも充実した日が続くと、あれも書かなきゃこれも書かなきゃというのに追われ、結局どうでもいいことしか書き残せなかった。
そもそも自分の字があまり好きではないというのが根底にあって、自筆で書くというのが苦手なのかもしれない。


しかしやめてしまった一番の理由は、誰かに見られるかもしれないという不安からくるものだった。


日記というのは誰かに見せる前提でない場合、ほとんどの場合が秘密である、と思う。
自分の自分よる自分のための日記が、ひょんなことから自分以外の誰かが読む可能性がある。
それを踏まえると、本当に秘密にしておきたいことを思い切り書くことができないでいた。
常に誰かに見られるかもしれないという危険性があるというのは、まるで デスノートを部屋に隠す夜神月のように、心に爆弾を抱えている心境だった。


そして、少しの時を経てブログを始め、紙に残すのではなくデジタルで残せば誰かに見られる可能性が低いのではないか、という結論にいたった。
というよりも、ブログを書き始めたおかげで誰かに見られる抵抗がなくなった分、別に日記を見られてもいいかと開き直るようになった。
別に誰も僕の日記なんか興味ないだろうし、見られても死ぬわけではないし。って。


そして少しずつ書き始めた。
デジタルで残すのはいいことづくしだった。(何より書きやすい、消しやすい、読み返しやすい、管理しやすい)
物として残らない分、誰かに読まれる可能性が低いが、その可能性がゼロではないというのが、 少しだけ緊張感をはらんで支離滅裂なことを書かない抑止にもなっているのも事実だ。
安心感を覚えた僕はこうして少しずつ日記を書き続けることに成功した。
その代わりブログを書く機会が減ってしまったが、日記はブログとはまたちがった楽しさがある。
日記に1行しか書かない日もあれば、気の向くままに何十分も書く日もある。
疲れた日や書きたくない日もあると思ったので最初から書きたくない時は書かないと決めていた。
今思うと最初に低いハードルを定めたおかげで続けられている。
何も書くことがない日ほど、考えたことをめちゃくちゃに書いてすっきりする。
何も考えずに書くのは楽しいし、頭の整理になるのでなんとなくいいことをしている気がする。


日記をつけ始めてから、よく書けた日のことはブログに載せようと考えていた。
しかしそんな日記、今まで1日もなかった。
誰かに見せることを前提としたものと、自分の中でしまいこみたいものと、同じにはできなかった。


それでも一日の日記をブログに公開している人はたくさんいて、面白い。
それがたとて全く面識のない知らない人であっても、面白いものは面白い。
だからいつか何でもいいから日記を載せようかと思っているけれど、良いものを書こうとすると日記に対するハードルが上がって日記自体をやめてしまいそうなので、このままだらだら書いていこうかなぁと適当なモチベーションでいる。