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森見登美彦と道の人

森見登美彦の小説を何冊か読んだ。読むようになったきっかけは僕がアニメ監督の湯浅政明という人のファンで「夜は短し歩けよ乙女」という森見の小説が再び湯浅監督でアニメ化されることを知ったため。以前「四畳半神話体系」でも湯浅監督が森見登美彦の小説をアニメにしていたので一応アニメも小説もチェックしたのだけど、その時はあまりにもサブカル臭がして諦めた。自分がサブカルかサブカルじゃないかはおいといて、肌に合わないというのを全力で感じた。そこで序盤の方で諦めてしまって、その時に森見登美彦の小説は自分と相性が悪いのだと決めつけていた。でもやっぱり気になるというのが人間というもので、MXで再放送しているのを録画してちょっとずつ消費している。それに伴って、本棚に積んであった「四畳半神話体系」を引っ張り出してもう一度最初から読んだ。何だか昔読んだ時と違ってスラスラ読めた。不思議だったけどそういうのはよくあることだ。自分のコンディションで入ってくるものと拒むものも変わってくるみたいな。それでアニメも結構すんなりと受け入れた。面白いのかは微妙だけど、なんか普段見るアニメとは全然違うからぼーっと頭を動かさないで受動的に見てる。


それで森見の小説をいろいろと読み漁った。と言っても四冊くらいだけど。なんか全部同じ人が書いているのがよくわかるし、全部似てるといえば似ている。肝心の「夜は短し歩けよ乙女」はまだ読んでいない。映画を待とうと思う。


それで、たった四冊読んだだけで森見登美彦のことをわかったつもりは全然ないけど、森見登美彦は道の人なのだと思った。道の人っていう言葉は以前マツコが定義していた。道について永遠に話していられる人、とか道に詳しい、とかうまく言えないけどそういう人。普段歩いている道を気にしているか否かというのも道の人の定義に関わってくる。それで、マツコやタモリなんかはきっと道の人なのだ。その時テレビで共演していた有吉は道の人ではなかった。そして僕も道の人ではない。その時はそういう風に思っていた。


そして森見の小説である。彼の小説はまさに道の人による道の人のための小説である。道の人というのはこういう風に空間を把握しているのか、と自分とは物の見方がまるで違うことに少し戸惑いを覚えた。最初読むのを拒んだのは多分そういうのが理解できなかったからだと思う。その道の人の思考は僕とまるっきり違ってもはや未知の人のようであった()。京都の街並みを道を使って表現している。僕は京都に詳しくない上に、空間把握能力が欠如しているので彼の言う道を想像することはたやすくない。森見との相性の悪さというのはそういうところにあるのかもしれない。だが、「四畳半神話大系」を読んだ際は道を知らずともすらすら頭に入ってきた。なぜだろう。道の人というのを受け入れたからかもしれないし、アニメを少しだけみたからかもしれない。森見との相性は悪くとも、嫌いではない。多分ちょっと好き。