作曲家エリック・サティ 『サティ弾きの休日』を読んで

オーロラの生まれ変わり、というのが僕がビョークに対しての見解だとすると、オーロラを音にしたのはクロード=ドビュッシーである。『月の光』や『アラベスク』などでテレビでもよく耳にする作曲家。ドビュッシーを知るために、彼に多大な影響を与えたエリック・サティという人物を知ることが遠回りながらも道筋のひとつであろうということで、このたび『サティ弾きの休日』という本を読み、サティへの理解を深めた。エリック・サティは『ジムノペディ』などで有名な作曲家で、ドビュッシー同様よく耳にする。エリック・サティを知ることは、パリを知ることである、と著者・島田璃里さんの意見を踏まえて述べるが、僕はちっともパリの地理や芸術を知らない。だが、何故自分がサティやドビュッシーの曲に惹かれるのかが少しだけわかったような気がする。この本ではドビュッシーについてはあまり書かれていないが、20世紀初頭の芸術全般について触れられているのでサティの芸術家としての地位の高さがうかがえる。そして、孤独というのがキーワードになっている。


サティ弾きの休日

サティ弾きの休日


この本で感銘を受けたのは、著者のただならぬエリック・サティへの深い愛である。彼女の半生はサティの幻影を追い求めることに費やされたのではないか、と思う。実際、著者の旅の日記帳はサティとサティを取り巻く人々で埋め尽くされているという。節々から感じるサティへの愛に、僕はときどき羨ましくなった。そして読み進めていくうちに、サティの人物像と音楽性に引き込まれていった。他の文献によると、サティはかなりの変わり者で難しい性格のように書かれていることが多いが、著者の愛によってマイナスイメージがそぎ落とされている気がしないでもない。


エリック・サティの抱える孤独は彼の作る音楽と切っても切れない深い関係にあたる。彼の孤独はきっと彼の音楽だけでなく、ドビュッシーにも受け継がれているだろうし、僕が惹かれたのも孤独が関係していると思う。


"孤独は芸術家の最良の友人のひとり"とされているなら、孤独は何も悪いことではなく、芸術をする上で価値のあるものにあたる。もちろん僕は芸術家ではないが、自分を見失っているときには孤独であることが安心材料になることもある。サティも、華やかの代名詞でもあるようなパリに住んで、よりいっそう孤独を身にまとった人であったという。僕の住んでいるところは華やかとは程遠いが、そのおかげで孤独は目立たずに埋もれていく。もしも華やかな街に住んだとしたら、僕の孤独はよりいっそう強いものになるだろう。一方で、サティが死んだ街や住んでいたアパートは孤独にまみれていたらしい。深い暗闇の中にある孤独であれだけの旋律の美しい曲の数々を生み出したのは、光と影のようだといわれている。彼の作った曲の中に、『ヴェクサシオン』という同じフレーズを840回繰り返す拷問のような曲がある。昔「トレビアの泉」で18時間かけて弾いていたのを見たことあるがそれらしい。その曲を一人で弾いていると、途中で幻聴や幻覚に悩まされるらしい。狂気の沙汰だ。基本的に誰の人生にも孤独は付きまとうし長い目で見たら光と影が差すような人生を送る人が多数だと思うが、サティにおいては積極的に孤独に浸ることで光と影をより深いものにしていたのではないだろか。中二病的な意見だけど。


この本を読んでエリック・サティのことが少しだけわかったが、本質的なことは多分何もわかっていないし何より本文に出てきた曲の半分も知らない。これで知ったような気になってはいけないし、サティがドビュッシーに影響を与えたのは偶然の産物ではなく、狂乱の街パリで出会ったことが必然だったように思う。