Once ダブリンの街角で (2007) 映画感想

f:id:allisfulloflove:20160928012309j:plain

 

監督:ジョン・カーニー 

 

この映画の素晴らしさはどのようにしたら伝わるのだろう。音楽が素晴らしいのはもちろん、音楽の溶け込む日常がとても素晴らしいのだ。iPodウォークマンで音楽を聴きながら通勤・通学をしたことのある人は大勢いるだろう。この映画で登場するのはCDプレイヤーだが。好きな曲を聴きながら歩く道はいつもの道と違って輝いていることがある。この感覚を少なからず味わったことのある人なら是非一度観てほしい。同じくジョン・カーニー監督の『はじまりのうた』も同じような感覚を味わえる。どちらも"音楽を聴きながら歩く"ことが特別なことになるシーンがあるのだ。

 

映画を観ている最中は気にならなかったことだが、ほとんどの登場人物に名前がつけられていない。ストーリーも奇を狙っているようなものでもなく、平凡で現実に起こり得ることばかりでハリウッドスターのように美男美女が出てくるというわけでもない。

 

冒頭の主人公はよくいるストリートミュージシャンのように叫びながら歌っており、この時点で特に心を打たれることはなかった。しかしその後、物売りの女性に出会ってから歌う曲は一変するのだ。二人が楽器店で歌う歌は最高である。しかもその演奏する場所が、観客も誰もいない、強いて言えば楽器店の店主くらいで、二人が即興で歌うその曲に魂が震えるほどの感動をしてしまった。もうこの時点でこの二人にすっかり魅了されていた。

 

道を歩く

CDプレイヤーで曲を聴きながら道を歩くシーンがあるのだが、平凡なシーンであるはずなのに、何故だかとてつもなく最高である。夜道を一人で静かに歌う彼女の曲は寂しげでありながら温かい。ゲリラ撮影であることが窺えるシーンでもあり、コンビニから後をつけてくる子供たちが逆に観客のようにも見えるのである。このシーンが凄く好きなのだが、それは大好きな曲を聴きながら歩く道がいつもよりも輝いて見えることがあるからだと思う。『はじまりのうた』でも二股イヤホンでプレイリストを流しながらNYの街を歩くシーンがあるのだが、そこもやはり好きなシーンである。一緒に聴いている人が恋人でないという点でも。

 

スタジオで他のストリートミュージシャンと一緒に演奏するシーンもたまらなくいいシーンである。スタジオの支配人(?)も一緒になって朝までくたくたになりながら編集し、そのまま海に行って・・・と大人の青春が詰まっているかのようである。スタジオで支配人を唸らせた"when your minds made me up"という曲なんかはうわぁ、もうやりすぎだろってくらいの曲なんですが、スタジオ支配人の「してやられた」感を視聴者も同時に味わい、同じ表情を浮かべてしまうのだと思う。

 

"歩く"ことが特別でありながら、"道"もやはり彼らにとっては特別なものであるように感じる。男にとって道は歌を歌うステージであり、女にとっては雑誌や花などといった物を売る場所である。どちらも道でお金を稼いでいる。そしてどちらも掃除機修理や家政婦といった別の仕事も持っている。だが彼らにとって道とは歩くだけの道ではなく、特別な場所なはずである。そしてその道というのは邦題にもなっているダブリンの街角のことだ。

 

そして女は道を掃除機を引きずりながら歩き、男はボロボロのギターを掲げて歩く。女性はチェコからの移民で、常にたくましく強い印象がある。掃除機の修理を断られても粘り、ピアノがなければ楽器店でタダで弾かせてもらい、スタジオの値下げ交渉に成功する。だが彼女の作る歌はどこか悲しげで寂しい印象がある。彼女の本心が歌に表れているかのようである。

 

男と女

この映画の何がいいって、男と女が恋愛関係にならないことだ。男女の友情とかそういうものではなく、きっとタイミングが違えば恋人同士になるんだろうな、という微妙なラインではある。二人は出会う前から好きな人が別々にいて、歌に出てくるのもその人たちのことばかりで、ベタベタな恋愛ものではない。だがパーティーで女は慈愛に満ちた眼差しで男の歌を聴いているし、男は割と女に気が合ったようだし、とにかくここまで応援したくなるような二人は珍しい。最後も、二人は会わないでお別れしてしまう。互いに本当に好きな人と会うのだ。なんて現実的なことか。エンドクレジットの入り方も完璧である。

 

現実的で、普遍的

この映画がどうしてこんなにいいのか考えたのだけれど、他の音楽映画やうさんくさくなりやすいミュージカル映画にはないようなリアルさがあり、ビョークの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」にどことなく似ていると感じる。ドキュメンタリー式のカメラワークだからか、同じくチェコからの移民という点か、何かしらのパワーがあったのは間違いない。

 

そして、"無個性"というのもある。移民やストリートミュージシャンという事項を除けば、この映画は誰にでも当てはまるのだ。ボーイミーツガールものとしてはあまりにもあっけなく始まりあっけなく終わる。現実的で、普遍的。名前がないのはわざとだろう。低予算映画としての弱みが、この映画においては強みになっているのではないかと思う。