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ピアノの森 (2007) 映画感想

アニメ 映画

ピアノの森

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原作:一色まこと

監督:小島正幸

制作:マッドハウス

 

 

まずポスターが綺麗だと思った。森という自然の中に人工物であるピアノのコントラストが美しい。ジブリ的自然観と動物の観客というディズニーらしさを彷彿させるがどちらの要素も皆無である。話がどんなのかも知らずにこのポスターだけで興味がわいた。

 

ピアニストのアニメというと「のだめカンタービレ」や「四月は君の嘘」を思い出す。話の構造的に似ているがピアノの森は天才と努力家の話。天才は一度開花すると飛躍的に成長し、いとも簡単に努力家を追い越すことがあるがこの手の努力家は努力の天才だ。そう簡単に話は終わらない。

 

映画は面白かったのに少しだけ声優が気になった。主人公雨宮修平の声は神木隆之介が演じている。この時の声があまり神木隆之介のように思えないのは声代わりの時期だからだろう。子供とも言えないし大人の声とも言えない、絶妙な時期の声だ。修平自身も子供でありながらずいぶん大人びていて声質はよく合っている。ただ演技が少し棒読みで残念だった。もう一人の主人公、海(カイ)は上戸彩が声を当てている。この海というのが中性的な見た目で女性の少年声は合っているのだがどうしても女を感じてしまう時があった。この二人は調べるまで誰が演じているかわからなかったのでそこまで気にならないかもしれない。

だが阿字野は残念だった。個人的に凄く好きなキャラクターで声も渋くていい。だが序盤の方で宮迫が演じているのに気付いてしまいあの顔がちらついてしまった。おそらくほとんどの人は彼の声だと気付かずにエンドロールではっとするのだろうが雨上がり決死隊がMCの番組をかれこれ10年近く見続けているのですぐに気が付いてしまった。最後まで気付かずに観たかった。この映画で1番成功していたのは福田麻由子が演じたタカコだと思う。彼女の声は声優ではあまりないような、自然体の声だった。

 

この映画はとてもいいところで終わる。続きが気になるというより彼らの成長を見守りたいという気持ちが強い。原作は漫画らしく、彼らの成長はどうやらそこで見られるようだ。この映画だけでも駆け足だがまとまりよく絶妙なところで終わる。

 

主人公の修平は努力家で幼い頃から英才教育を受けてきた。ピアニストになるべく苦しくても弾いてきたある意味努力の天才ではある。一方の海はピアノは楽しいから弾くもので根本的に意識の差がある。ただ二人の出会いはお互いを高めるために必要不可欠であったように感じる。修平はあのまま大人になっていたら音楽が音が苦になって壁にぶち当たるだろう。ただ彼のこれまでをぶち壊すほどの演奏を目にした修平は海に嫉妬するどころか認めている。小学生にしてはずいぶん大人な考えを持っているしもしかしたら思春期だと逆に意識しすぎてしまい早く出会ったことがよかったのかもしれない。意識の違う海に出会ったことは彼のピアニスト人生としてはプラスに動いただろう。

 

考えてみれば修平と海は対極な存在である。天才と努力、金持ちと貧乏、両親のピアノ教育、ピアノを受動的に弾くか、能動的に弾くか、苦しくても弾くか楽しいから弾くか、密室の中のピアノと森のピアノなどなど。これが少年雑誌で連載していたら海の父親は実は天才ピアニストだった、という展開が繰り広げられているかもしれない。だが海の親はレイ一人で貧しくても海に対しての愛情を感じる。修平の母親も修平のことを愛しているのだろうがピアニストとしての修平を愛しているように感じる。

 

コンクールでは修平は試合で勝って勝負には負けている。海のピアノはコンクールという枠組で決められたもので測れるものではない。阿字野が海に世界に出てみないか、と言うのは彼自身がコンクールというものをよく知っているから出た発言である。そもそも日本のコンクールというのはミスや型にハマった弾き方を重視する傾向にあるようだ。盲目のピアニストの辻井伸行も海外のコンクールで評価されてから日本でも注目されるようになった。それも日本のコンクールがミスに厳しいから盲目である彼はミスしがちで評価されにくかったという話を聞いたことがある(本当かどうかはわからないが海と通じるところがある話だと思う)。海が本領を発揮するのは自然体で弾く時でかしこまっていては型に合わない。型にハマった弾き方しかしてこなかった修平が対極にいるせいで、海が簡単に修平を追い越せるのではないかと思える。だが海のピアノ人生は始まったばかりで修平もある意味リセットされたのではないだろうか。その二人が今後どうなっていくかはわからない。そこで映画が終わってしまうから。だが海がピアノを本格的に始める限り、修平ともう一度会うことは約束されているのだろう。

 

フィギュアスケートが得点制なのに疑問を投げられるように、音楽も数字で評価されるものではない。修平と海は今回コンクールという形で勝負をすることになったが本来ピアノというものは表現するものだ。彼らのスタイルが違う限り優劣のつけられない程の表現者になるのだろう。修平はコツコツ練習して輝きを放つのに対し、海は森でピアノを弾くときに一番輝く。音楽ってそういうものだと今一度思う。