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「ファンタスティックビースト」がハリーポッターシリーズに繋がっていくという考察

映画

映画をみて疑問に思った点を調べていたらハリーポッターとの繋がりを発見したので考察です。『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』における重大なネタバレと、今後の展開予想によって次作の楽しみが奪われる可能性があります。ネタバレ要注意です!そして、妄想の部分も強いです。



Fantastic Beasts and Where to Find Them
ニュート・スキャマンダーの書いた本「Fantastic Beasts and Where to Find Them/幻の動物とその生息地」はホグワーツ校指定教科書に登録されており、ハリーたちが使用している。この出版会社がオブスキュラス・ブックスという名前。


オブスキュラスとは

抑圧された魔法使いの子供の力を具現化したもの。オブスキュラスというチートまがいな存在を今作で初めて聞いたので「幻の動物とその生息地」に載っているか調べたら、魔法動物ではないので載っていなかった。しかし、なんと、この本こそがオブスキュラスという出版会社から出版されているという設定があったのです。というよりも、オブスキュラス出版の人がニュートに声をかけて作った本なので、オブスキュラスという名前は前々から出ていたということになる。


クリーデンスが今作でオブスキュリアだったことが判明したが、クリーデンスは次作にも登場するらしいのでおそらく亡くなっていない。精神力が強いと10歳以上でも生きられるというのを証明しているので両親が強力な魔法使いだった可能性アリ。



ダンブルドアの妹がオブスキュリアだったという説

アバ―フォース・ダンブルドアとの会話にて。ハリーポッターと死の秘宝より。

「魔法力が内にこもり、妹(ダンブルドアの妹アリアナ)を狂わせた。自分で抑えられなくなると、その力が内側から爆発した。妹はときどきおかしくなり、危険になった。しかし、いつもは優しく、怯えていて、誰にも危害を加えることはなかった。魔法省がアリアナの状態を知ったら、妹は、聖マンゴに一生閉じ込められることになっただろう。アリアナのように精神不安定で、抑えきれなくなるたびに魔法を爆発させるような状態は、魔法省から『国際機密保持砲』を著しく脅かす存在とみなされただろう」
「妹が14歳のとき・・・妹がいつもの怒りの発作を起こしたが、母はもう昔のように若くはなかった、それで・・・事故だったんだ。アリアナには抑えることができなかった。そして、母は死んだ。」
「口論になった・・・そして俺は杖を抜き、やつも抜いた。アルバスはあいつを止めようとした。それからは三つ巴の争いになり、閃光が飛び、バンバン音がして、妹は発作を起こした。アリアナは助けようとしたのだと思う。しかし自分が何をしているのか、アリアナにはよくわかっていなかったのだ。そして、誰がやったのかはわからないが――三人ともその可能性はあった――妹は死んだ」(ハリーポッターと死の秘宝 下 より抜粋)


ダンブルドアの妹アリアナの症状がクリーデンスと似ている上に、発作や母親を暴走で殺してしまった過去も重なっている。さらに強力な魔法使いだったことで14歳まで生きていたこと、魔法をコントロールできなかったことも同じ。そう踏まえると、目の前でオブスキュアを見たであろうグリンデルバルドがオブスキュアに執着していた理由や取り調べでダンブルドアの探りを入れていた理由も説明できる。

アリアナはグリンデルバルドとアルバス・ダンブルドアとの決闘中に亡くなったことで彼らに大きな影響を与えたと考えられる。特にアルバスは死の秘宝を破壊する際に妹のことを思い出して苦しんだシーンがあった。

グリンデルバルドが出演したのもハリーポッターと共通する人物を無理やり組み込ませたと思ったのだけど、ジョニーデップと名のある俳優を起用していたり、今後活躍することは予想されるので、ファンタスティックビーストでは今後二人のことを中心に取り上げて、最終的にハリーポッターと一つの大きなつながりになることを予想している。といってもファンタスティック・ビーストは1945年までしか取り上げないらしい。


リタ・レストレンジ
ニュート・スキャマンダーと友人だった(恋仲?)リタ・レストレンジについてはあまり情報がないが、シリウスを殺したベラトリクス・レストレンジの家系であることは間違いがないと思うので、おそらく純血だろうと予想。しかしベラトリックス自体はブラック家の人間なので、レストレンジ家については未知。ベラトリックスと結婚したロドルファス・レストレンジは死喰い人となりアズカバンに投獄された過去がある。

リタ・レストレンジはニュートと同じくはみ出し者のホグワーツの生徒だったが、生徒にけがを負わした罰で退学になりかけたところをニュートが代わりに罪をかぶって退学になっている。しかしニュートの結婚相手はティナ(ポーペンティナ)なので、この先リタと恋仲になることはなさそう。「奪う側」という意味もあいまいだが、なんとなく今後出るとしてもグリンデルバルド側につきそうな予感・・・。



ハリーポッターシリーズの人と関係あり?


  • ルーナ・ラブグッド

不死鳥の騎士団から登場するルーナ・ラブグッドはニュート・スキャマンダーの孫ロルフと結婚する。お似合い!彼女自身、魔法動物に興味があり魔法動物雑誌「ザ・クィブラー」の編集長を親子共々しているのですごく似たもの同士なんじゃないかと思う。

  • ルビウス・ハグリッド

ハドリッグが魔法動物学の教師になる際(時期的には3巻アズカバンの囚人)、ニュートから直接アドバイスを受けていた可能性がある。映画「ハリーポッターとアズカバンの囚人」では忍びの地図に名前が載っていたことが確認されている。ちなみにニュートは2015年まで生きていた。

  • チャーリー・ウィーズリー

ロンの兄であるチャーリーはホグワーツ卒業後、ドラゴン研究のためルーマニアに移り住んでいる。ニュートはドラゴン研究で海外調査を頻繁にしていたらしいので二人が交流していた可能性がある。しかしニュートはその際かなり高齢なのでその線は薄い。ただの予想です。

ダンブルドア軍団の一員でもありハッフルパフの監督生だったホグワーツ生徒。ファンタスティックビーストに出てくるティナ・ゴールドスタインとクイ―ニー・ゴールドスタインとは遠い親戚。




今後の展開予想

ニュートとティナが結婚して、グリンデルバルドが天下を取る暗黒の時代が訪れる。



結論

調べたら世界史並みに複雑。何か新しいことがわかったら追記していきます。

ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 (2016) 映画感想

映画

かなり前からファンタスティックビーストの展開予想をしていながら、いざ公開されたら気持ちが覚めてしまって最近やっと観てきました。


↓以前書いた展開予想記事
allisfulloflove.hatenablog.jp


感想ですが、予想していたより面白くて楽しめました。想像の上というわけでもなく、凡作というほどでもなく、という感じです。もともと映画のハリーポッターシリーズは原作のダイジェストになってしまいがちだったのですが、今作もダイジェスト感が多少あったかなと思います。脚本もJ.Kローリングが書かれているので脚本もハリーポッター原作並に分厚かったんじゃないかなーと思うとわくわくします。なので伏線やハリーポッターとの繋がりもかなり練り込まれているんじゃないかという予想もあります。そちらの考察は別に書きました。子供のころからハリーポッターを観て育ってきたのでこれからも一緒に成長してくのかと思うと嬉しい気持ちが強いです。


ファンタスティックビーストはハリーポッターの過去の話なので、初見は別物だなぁという感想を抱きました。ダンブルドアやグリンデルバルドの名前を出してきたあたりに無理やり共通点を作った感が否めなかったですしご都合主義な展開に少しだけ疑問があったのですが、一つある仮説を設けてからファンタスティック・ビーストがハリーポッターに綺麗に繋がっていくんじゃないかと思いはじめました。結局いつまでたっても僕はJ.Kローリングの手の上で踊らされているのだ。

allisfulloflove.hatenablog.jp



今回の主人公ニュート・スキャマンダーはハリーとは対照的に主人公感が薄くて逆によかったです。ハッフルパフ生というのもとても良い。主人公以外のキャラクターもそれぞれキャラが濃くて印象的でした。特に、ジェイコブは主人公を食うくらいよかったです。そういえば、非魔法使いのことをイギリスではマグル、アメリカではノーマジと言うのも面白かった。


ハリーポッターシリーズでダイアゴン横丁に初めて入ったときのドキドキ感や天井のない大食堂を観たときのワクワク感はファンタスティック・ビーストではあまり得られなかったのが正直なところなんですけど、それは主人公たちが大人だからか僕がもう大人になってしまったからかもしれません。魔法動物のシーンなんかは好きな人がみたらたまらないんじゃないかなぁと思います。終わり方なんかもちょっと大人な感じ。あとファッションがとてもオシャレでした。感想は薄いけどこんな感じ。

去る人、戻る人

雑記

すごく好きだったブログが削除されてしまっていた。理由はさっぱりわからないけど、よくブログを消してしまいたくなる瞬間があると書いていたのを覚えている。一度もコメントをしたことはないし、多分僕のブログを読んだことすらなかっただろうけど、その人のブログの内容や考え方が好きだった。ただ、すごく生きづらそうな人だと思った。だからこそ惹かれたのかもしれない。彼は悩み、苦しんでいた。みんな本当にこんなに生きづらいのだろうか、と。その苦しみを赤裸々につづった彼のブログは何故だかすごく魅力にあふれていた。しかし僕は何の反応もせず、彼のブログを黙って読んでいた。こちらが何かしらのアクションを起こせば、それだけで何かの引き金になりそうなほど繊細な人に見えた。そして今、多分だけど彼は名前を変えて復活するだろうと心のどこかで思っているのだ。


ネット上の別れは永遠だ。ネット上から姿を消してしまえば、それは永久に姿を消したこととなり、生存の確認も出来やしない。さらに、存在していたことさえ否定される。だからこそ、残された側は虚しさだけが残る。そしてその虚しさをぶつける相手も解消する方法もない。恋人との別れか、それとも死別と言えるだろうか。リアル上での別れとは似てるようで似ていない。不謹慎かもしれないが、深く関わっていなくてよかったと思った。ただでさえ煩わしい人間関係を、ネット上に持ち込みたくなかった。深入りして傷つくくらいなら、最初から近づかなければいい。そんな保守的な考えをネットには抱いている。僕は一度、ブログを読んでいるという報告を思わぬ方向から多数受けて、ブログを消してしまったことがある。そして今、名前を変えて復活している。僕は薄情だろうか。ならば、何故僕はブログなんか書いているんだろう。答えはうすうす気付いている。でもそれをはっきり認識してしまえば、再びブログを消してしまいたくなる衝動に駆られるだろう。本当はもっと恥ずかしいことを書き残したい。今はただギリギリの自制心で止めているだけであって、時間が経てばこのブログ自体も急に恥ずかしくなって消してしまいそうだ。