くまのパディントン展 マイケル・ボンド

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4/28から東京で始まったパディントン展に行って参りました。
ペギー・フォートナムの原画が二枚のみではありましたが色々な作家の原画や複製があって存分に楽しみました。
そんなに混んではいなかったんですけれど、全員文字をじっくり読み込んでいたので体感的には結構混んでいるように感じました。
見ごたえも充分にあって、説明文の読み応えもあって良かったです!
親子連れがたくさんいて、子供に説明文を読んであげていたりしてなんだかとてもいい光景を見た気がします…。

パディントンを始めて知ったのは昔イギリスに旅行しに行ったときで、パディントン駅から電車に乗ることがあったので発車時間まで散策していたらパディントン銅像を見つけました。
当時はあまり知らなくて、帽子をかぶったクマがいるぞ!と不思議に思っていたのでまさか日本でこんなに馴染みのものになるだなんて思いもしていませんでした。
しかし日本でもパディントンの絵本がずっと昔から出版されていたことを知りました。
そして自分でも本を買ってみたり、友人からプレゼントされたり。

パディントンといえばブルーのコートに赤いハットを被った紳士なクマです。
意外と波乱万丈な人生を歩んでいて、いわば難民のような位置にいます。
おっちょこちょいでハプニング続きで、そんな喋るクマをパディントンの世界では当たり前のように受け入れている、めちゃくちゃやさしい世界……。
海外からイギリスに入国する際は、入国審査で英国パスポートとヨーロッパのパスポートで二手に別れなきゃいけないんですけど、パディントンはクマだからクマ専用のレーンで早く進める世界なんですよね。そういう四コマ漫画がありました。

パディントン展はイギリスに行ったような気がしてとてもワクワクしました。
そして館内ではグレーテルのかまどが流れておりました。放送当時、グレーテルのかまどマイケル・ボンドが出てきてまだ作者がご存命だったのかと驚いたのを覚えています。

グッときたのは小学生の読者から日本語訳を担当した松岡さんに届いたファンレター(という名の催促状)。
「早く翻訳してください」とパディントン愛にあふれた小学生の正直さが表れていてめちゃくちゃ面白かったです。
大人になってから自分で訳した方が早いことに気付いて共同訳者になっちゃう愛にあふれたエピソードでした。
そのお手紙も飾ってあって周りに人だかりができていました。

これまでいろいろな作家がパディントンの絵を描いてきて、おそらく初期を手掛けていたのはペギー・フォートナムみたいなんですけど、個人的にはR・W・アリーの描くパディントンがすごくやわらかくてかわいいです。
R・W・アリーの描くパディントンの声はベン・ウィショーでもなく松坂桃李でもないと思うんです。
映画も最初は青年の声だ!という第一印象があって、だんだん違和感がなくなっていくんですけど、絵本のパディントンの声は彼らのボイスではないような気がします。
映画のリアルな質感のパディントンと絵本のパディントンはなんだか違って、いろいろな作家の描くパディントンが違う顔を持つように、映画のパディントンもそのうちの一つという感じがします。

お土産には図録を買いました。これもまた大変いいものでした。
そしてなんと、グッズ売り場にマーマレードが売っていなかった衝撃!(多分私の見る限り売っていませんでした)
紅茶やクッキーはあったんですけど、マーマレードはなかったのです。
絶対に売ってると思ってました……。売ってたら買おうと思っていたので。

パディントンを見るとむしょうに食べたくなるマーマレード。
ふわふわの食パンにはさんでかぶりつきたい。

日記を書く

今、人生で一番長いこと日記を書き続けている。
何度試しても3日と続かなかった僕が、半年も日記を書いている。
これはまぎれもない快挙だ。


思えば中学生の頃、担任の教師に毎日提出していたノートには日記を書く欄があった。
しかしそこで書いていたのは生活の記録と呼ぶのもおこがましいほど適当な内容だった。
3日に1回は「今日は疲れた」と書いて提出していた気がする。


大学生の頃に一度、日記用に少し良いノートを買って日記を続けようと試みたことがある。
分厚くしっかりとした紙質で、書きごたえがあったのを覚えている。
しかしそれも一週間と続かなかった。
何もない日が続くと書くのが妙にむなしくなってしまう。
しかしその逆であまりにも充実した日が続くと、あれも書かなきゃこれも書かなきゃというのに追われ、結局どうでもいいことしか書き残せなかった。
そもそも自分の字があまり好きではないというのが根底にあって、自筆で書くというのが苦手なのかもしれない。


しかしやめてしまった一番の理由は、誰かに見られるかもしれないという不安からくるものだった。


日記というのは誰かに見せる前提でない場合、ほとんどの場合が秘密である、と思う。
自分の自分よる自分のための日記が、ひょんなことから自分以外の誰かが読む可能性がある。
それを踏まえると、本当に秘密にしておきたいことを思い切り書くことができないでいた。
常に誰かに見られるかもしれないという危険性があるというのは、まるで デスノートを部屋に隠す夜神月のように、心に爆弾を抱えている心境だった。


そして、少しの時を経てブログを始め、紙に残すのではなくデジタルで残せば誰かに見られる可能性が低いのではないか、という結論にいたった。
というよりも、ブログを書き始めたおかげで誰かに見られる抵抗がなくなった分、別に日記を見られてもいいかと開き直るようになった。
別に誰も僕の日記なんか興味ないだろうし、見られても死ぬわけではないし。って。


そして少しずつ書き始めた。
デジタルで残すのはいいことづくしだった。(何より書きやすい、消しやすい、読み返しやすい、管理しやすい)
物として残らない分、誰かに読まれる可能性が低いが、その可能性がゼロではないというのが、 少しだけ緊張感をはらんで支離滅裂なことを書かない抑止にもなっているのも事実だ。
安心感を覚えた僕はこうして少しずつ日記を書き続けることに成功した。
その代わりブログを書く機会が減ってしまったが、日記はブログとはまたちがった楽しさがある。
日記に1行しか書かない日もあれば、気の向くままに何十分も書く日もある。
疲れた日や書きたくない日もあると思ったので最初から書きたくない時は書かないと決めていた。
今思うと最初に低いハードルを定めたおかげで続けられている。
何も書くことがない日ほど、考えたことをめちゃくちゃに書いてすっきりする。
何も考えずに書くのは楽しいし、頭の整理になるのでなんとなくいいことをしている気がする。


日記をつけ始めてから、よく書けた日のことはブログに載せようと考えていた。
しかしそんな日記、今まで1日もなかった。
誰かに見せることを前提としたものと、自分の中でしまいこみたいものと、同じにはできなかった。


それでも一日の日記をブログに公開している人はたくさんいて、面白い。
それがたとて全く面識のない知らない人であっても、面白いものは面白い。
だからいつか何でもいいから日記を載せようかと思っているけれど、良いものを書こうとすると日記に対するハードルが上がって日記自体をやめてしまいそうなので、このままだらだら書いていこうかなぁと適当なモチベーションでいる。

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? 映画感想

※ネタばれがあります!


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岩井俊二ファンとして、アニメ化は大変喜ばしいことでもあり、かつ不安でもありました。
ヒットしてほしいという願いと、原作越えしたらどうしようという複雑な思いを抱きつつ、試写会に足を運んだのでした。

あらすじ:
花火を横から見たら平べったいのか丸いのか言い争う主人公たち。
その日の花火大会で確かめに行くことに。


原作は20年以上前のものですが、予告編を見た限り『君の名は。』みたいというコメントがちらほら。
そもそも実写をアニメ化というのが珍しいですし、そもそも岩井俊二のあの雰囲気をアニメで表現できるのか、と。
プロデューサーの川村元気氏曰く第二の『君の名は。』を意識しているような感じがするので(そもそも『君の名は。』のプロデューサーも川村元気氏)、原作のドラマとは別物といった感じでした。それでも端々で比較したくなってしまう。


脚本は『モテキ』や『バクマン。』の大根仁
90分とはいえ若干の中だるみを感じてしまったので、内容はそんなに膨らませなくても良かったんじゃ、と思いました。


アニメの表現にあまり慣れていないので、そこは自分が合わせていくべきかと思いながらも、水面や花火の宝石のような表現に見とれたのでした。

やけに顔と目のアップがあったのですが、シャフトというか新房監督特有のものなんでしょうか。
最近のアニメは蒙古ひだまで描くんですね。

顔のアップなどハッとするようなカットが多かった割に、主人公やヒロインの表情に引き込まれることはあまりなかった…。あれどういう意味があるんでしょう。
そこまで説明的ではないから意図があるのかないのかわかんない部分があって、原作ではそれがアンニュイだったんですけど、アニメの場合は登場人物が人形のように見えて、なんだかわかりにくかったです……。
あまりにも顔のアップがあるもんだから、途中から「結局これなんの意味もないんだろうなあ」と半ば悟る事態に……。


岩井俊二版の『打ち上げ花火~』は奥菜恵の奇跡のような可愛さで成り立ってるみたいな言われ方をしていたので、あの可愛さをどう表現するか?というのにも注目をしていました。
広瀬すず演じるなずなの、思春期特有の感じは良かったです。


個人的によかったところ

  • 映像の綺麗さ。

景色、プール、もしも玉、そして何と言っても花火。
大根仁の書いた小説版も読んだのですが、「グロテスクな花火」の登場にわくわくしたものの結局出てこず、たぶんこれがグロい花火に相当するやつなんだろうなあと思ったのが、ずいぶんかわいらしくまとまった花火だったのでした。スイカバーは出てこなかった。

  • 音楽。

劇中挿入歌の「瑠璃色の地球」がとーーっても素敵でした。
もう広瀬すずがこの曲を歌っただけでなずなの可憐さと少女性が確立されたような気がします。
広瀬すずの声がとてもかわいいです。
透明感と、艶、でも少しの不安定感が揺れ動く思春期特有と言う感じで彼女が歌った瞬間にすっと引き込まれました。(でも最初は一瞬戸惑った)
曲単体で聴いたときと、映画の挿入歌、つまりなずなの歌として聴いたら印象が全然違うのではないかと思います。
瑠璃色の地球」は松田聖子の曲らしいんですけど、前奏のピアノ部分が岩井俊二の作るピアノ曲っぽいんですよね!!!『四月物語』や『花とアリス』の音楽に出てきそうな。
映画観終わってからずっとこの曲リピートしてます。
広瀬すずの歌を聞くためだけに観にいくのもいいと思います。

DAOKOの「Forever Friends」も最高でした。
この曲が使われてほんとうに良かった……。
あと米津玄師との「打ち上げ花火」もすごく良い曲です。

  • トンボがなずなの肌にとまるシーン

原作ではアリだったのが、トンボに。
やけにドキドキするシーンなんですけど、取る前に飛んで行っちゃうんですよね。
飛んで行ってしまって後悔したのか、ほっとしたのか。

  • 浴衣を脱ぐシーン

逃避行中に着替えで浴衣を脱ぐシーンがあるんですが、服の柄がするする動いていてアニメ凄い!となるシーンでした。




電車が二両しかないような田舎町の学校がやけに最先端で若干の違和感がありました。
学校内のらせん状の階段は、灯台の内部と同じですね。
なずなの制服もフリフリで、アニメだー、と思いました。
なずなの背丈がノリミチよりも大きいのが原作と同じで少しうれしい部分でもあったのですが、アニメでヒロインの方が大きいってなんだか珍しいような気がします。
でも中学生くらいって女の子の方が大きいし、ませてたり、大人びてるのを表現してるのかなあとも思ったりもしました。水商売しようとしてるくらいですからね。本気かどうかはおいといて。


友人のひとりが「観月ありさ大好きだー!」と言ったセリフから、20年経っても変わらない観月ありさすごいなあと思いました。今だったら熟女好きなのかな?となるんですかね。
家でやってたゲームもドット絵でなんら違和感はないし。(ゲーム画面は何か元ネタがあったりするんですかね)


なずなの最後のセリフが、「二学期また会えたらいいね」みたいなのだったのが、「次に会えるの、どんな世界かな」というのになっていました……。


最後のもしも玉が割れて花火に混じって光るシーンは綺麗で、こういう展開もあったかもしれないのかー、と少しだけ感動しました。


最後のカットはいろんな解釈が出来そうです……。



結局この映画から何かを感じ取ったり、大きく心が変わることなく終わって残念でした。
私の感受性が乏しいからかもしれないですが、楽しみにしていた分、やはり無念。
個人的に思うのは、大根仁の脚本が微妙なのでは?と。



結論:アニメが岩井俊二版原作を超えるかもしれないという不安は杞憂でした。